『解体新書』とは、江戸時代の医師であった杉田玄白らが私たちのからだのかたちや仕組みを伝えるために翻訳し著した書物の名前です。そこには、実際にある人体の解剖と観察にもとづいて自己を知ろうとする近代科学的な視線がつらぬかれていました。それを読むことで初めて、私たちは自らのからだの現実的な輪郭を知ることになったのです。また同時に、そうした解剖学的な知は、私たちがどのようにして今の姿になったのかという進化論的な由来を伝えるものでもありました。それは、人間と他の生物との連続性を告げることで、先祖にあたる多様な生命の営みが受け継がれて混在する結節点として自らの身体を再発見する見方を私たちに与えた、というわけです。その意味で言えば『解体新書』とは、この地上で生きるものとして人間だけを特別視することなく、多様な生の共存がすでに自らのからだにおいて実現している、という寛容な自然の歴史的現実を伝えてくれる書物でもあったといえるでしょう。
他方で、私たちのからだは、生まれてから死ぬまで常に変化し続け、同じ状態にとどまることはありません。成長して伸びたり縮んだり、凸凹と硬くなったり柔らかくなったり、密になったり粗になったりして、心身のあり方は全くもって一様ではないのです。あるいは、生まれ持ったからだが人と大きく異なっていたり、病気や事故や老化などによって身体器官の機能が失われることで、皆ができることやそれまでにできていたことがうまくやれなくなることもあるでしょう。そのような身体条件の差異や変化に直面した時でも、私たちは、もとの機能を代替する可塑的な心身能力を生かして、姿形や器官の能力を補ったり、それを超え出るための身体拡張技術を開発することによって、自らのからだの境界線を自在に書き換えたり、縫い合わせたりしながら、与えられた環境をどうにかして生き延びようとしてきました。そこにあるのは、自然/人工を分類する境界線を解きほぐし、今ある規範的な身体観や倫理を無効にするような、新たな在り方をしたからだにほかなりません。
そこで本展では、多様なからだの在り方を映し出す創作を集め、展示いたしました。私たちのからだに宿された可能性を複層的に理解し、新たなからだの見方をつくり肯定していくためにひもとくひとつの「書物」として、ここに本展を開いてみたいと思います。
↑上の画像をクリックすると大きな画像でご覧いただけます。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ Re:解体新書事始め<関連イベント> ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇